小学生のころ、スズメを捕まえようと罠をつくり遊んだ記憶がある。
幼稚な罠に引っかかったスズメがいた。
罠から取り出すときに嘴に突っつかれて放してしまった。
手に残ったのはスズメの温かさだけだった。
妙にその温かさだけが記憶に残っている。
小学生のころ、スズメを捕まえようと罠をつくり遊んだ記憶がある。
幼稚な罠に引っかかったスズメがいた。
罠から取り出すときに嘴に突っつかれて放してしまった。
手に残ったのはスズメの温かさだけだった。
妙にその温かさだけが記憶に残っている。
虚構がなければ生きてはいけない。
虚構だと思わないことが大事か。
虚構だと思わず事実だと思わないと成功しない。
そうすると虚構も事実も何が違うのか。
人は自分が見たいようにしか見ない。
客観を否定するわけではないが世の中、主観だらけだ。
同じ行為をしても問題にもならないことがある。
信頼関係の構築に瑕疵があったと言わざるをえない。
信頼関係があれば当然のことながら納得同意があったといえるのではないか。
独りよがりの考え思いでやってしまうと問題発生に
つながる。
相手のことをよく考えよう。
生きているあるいは生かされていることに
感謝しなければと思う。
若い頃は自分の恵まれない境遇に苛立ちを覚えたものだが、
今から思えばそれも自分にとって大事な試練だったのだと
解釈している。
しかし、時代が異なる今の若い人には何の意味もないことだ。
小学校の高学年から「いじめ」にあい、自分自身が暗く非社交的な性格に
変化したことを感じさせられる。
中学高校はそれなりに過ごせたが根本的なところで寡黙で暗い性格は
変化なしだ。
漸く大学に入り自分を解放する一歩が踏み出せた。
大学は「学び」より自分にとっては自分をつくり直す機会になった。
あの4年間は貴重な時間だった。
小学生のころ、親しくなった男の子の家に遊びに行った。
自分の家とはまるで違う雰囲気に圧倒された。
男の子のお母さんに冷たい飲み物をご馳走になった。
そして自分のことについて聞かれた。
それから数日して、その男の子は自分を避けるようになり、
自然に関係は消えてしまった。
面白く楽しい時間を共有できた記憶がある。
だから今でも思い出す。
なぜ関係が消えてしまったのか今はわかる。
男は女をみている。
女は女をみている。
男と女が分かり合えないのは根源的なものなのか。
まあ深刻に考えなくてもいいか。
理解したと思った時が危ない。
分からなくていい。
人間って複雑だ。
生きているのはそういうことか。