明日

明日は必ず来る。

仕事をしていたころは、つらいこと、悲しいこと、うれしいこと、ときめくことが待ち受けている明日は必ず来ると思っていた。いや、自分で明日を引っ張ってくる気持ちでいた。

いやなことでもやってみなければどうなるかわからない。

そんな気持ちで明日を呼び込んでいた。

 

今は、勝手に明日がやってくるみたい。

来てもいいけど、ルーティンワークをするだけのことだ。

寂しいが耐えて少しでも光が見えたらいいとしょう。

睡眠

この歳にしてはよく寝る方かな。夜10時過ぎにはテレビの報道番組をしりめに布団に入る。

ものの30分ぐらいで眠っている。

途中トイレで起きだす時もたまにあるけど基本、朝まで寝ている。

そして周りが起きだす雰囲気に促されるのか、朝6時ごろに目がさめる。

トイレに行き、また布団に潜り込む。

この時が一番幸せを感じる。何とも表現のしようがないほどだ。

つれあいが仕事に出かけるので仕方なしに7時ごろ起きだす。私の一日が始まる。

夢はほとんど覚えていない。断片が残っている。

 

 

会話

昨日、自宅近くの道をぼんやりと歩いていたら、信号待ちの車から突然、○○先生!と声をかけられ、

狼狽えていると、その声の主はかつての同僚だった。

わずかの間の会話だったが、気持ちが満たされた感じがした。

 

その日の午前中は整形外科の診察を受け先生と数分の間、会話を交わした。治療は終了。1か月半に及んだ。

まだ右手には違和感がのこるが日にちが解決してくれるようだ。

こうして時間がゆっくりと過ぎ去っていく。

 

虚しさだけが

同じことを繰り返している。

失敗したら学習するのが普通のことだろう。

表面的には偉そうなことを言っていても実際は本当に大事なことは見捨てられている。善意や使命感だけでは何事も続かない。

耐えることしかないのか。

精神力は物質的な環境が支えにないと脆い。

「衣食足りて礼節を知る」は一面の真理を言っている。しかし、知っていても実行が伴うのかどうかはまた別の問題だろう。

所与の環境のもとで如何にサバイバルするか。悲しいことだ。

視点

一つの事象でもさまざまな視点から捉えればみえてくるものも異なる。あーこういう見方があったのかと目がさめることもある。

自分なりの視点をもちたいと思う。

一次情報にほとんど接することのない現在、このことは至難の技だが。

事実と意見を選り分けて、事実にもとづいて考えていく必要性を痛感する。

読解力を高めよう。

黄昏

今日も何事もなく黄昏時を迎えている。この時間が一番すきだ。昼でもないし夜でもない。分や秒で今は生活していない。

バスに乗り遅れたらそれもいい。次のバスが来るまで待てばいい。急いでいく用事もない。電車も各駅停車の普通電車。まかり間違っても急行や特急には乗らない。

本を読み、飽きたら人間観察をし妄想を逞しくしている。

明日からの土日は図書館で自分の勉強だ。

その気持ちが崩れてしまったら自分は自分でなくなる。

追いかけられている状況は卒業した。今は自分の心の動きに忠実でありたい。

変わらない

変わらないことが多い。表面的には欧米のような近代的な様相を呈しているが一皮捲ると旧態依然とした状態が見受けられる。

一人ひとりの行為で乗り切ろうという考えがどこどこまでもついて回る。

社会的な協同の力で立ち向かうことはしない。

個人のエゴイズムに最終的には頼っている。

 

AIやタブレットが推奨されているが、しかし、それを使う人間のメンタリティは明治大正時代の人間とあまり変わらないのではないか。