不条理もまた、

どんな家族のもとに生まれるのか子どもはわからない。成長していく過程でさとる。なぜ自分の家は貧しいのか。子どもの頃はよく疑問に思った。ピアノのある女の子の家。応接間があるお父さんが遠洋航海士の家。服装、お小遣いなどなど数え上げればきりがないほどの比較を通して自分の家が下層の家だと認識させられる。中学生のとき、授業中の雑談でーこのころ雑談する教師が多かったーたしか英語の先生だったと思うが、毎朝、紅茶とトーストの食事を習慣にしているという話に何ともいえない羨望と怒りがないまぜになった感情を抱いたことを覚えている。今でいうルサンチマンか。漱石の小説の一場面とともに時々思い出す。

貧乏な生活から抜け出したかった。お金がほしかった。私が大学に行きたいと思ったのはこんな生活から脱出できる道があると信じたからだろう。時代は高度経済成長のど真ん中だった。時代が私を生きさせてくれたのかもしれない。